酒と豊穣の神・バッカスに仕える巫女、HALがお届けするお酒にまつわる物語
 
 

わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。……

新約聖書『ヨハネの黙示録』の一節です。黙示文学であるが故に、最もその扱いが問題視された書物です。難解さが読む者の想像力を掻き立て、これまで様々な解釈がなされてきました。

今月はショートカクテル「マティーニ」のご紹介です。

「カクテルはマティーニに始まり、マティーニに終わる」といわれるこのカクテル。基本レシピは、ジンとヴェルモットのみ。シンプルなレシピから多くのバリエーションが生まれ、また店によってスタイルが異なります。分量の比率、ベースのジン、オリーブの塩抜き加減、レモンピールの有無、ステアの回数、氷の状態、デコレーションに至るまで、その店のこだわりが凝縮し、具現化されたものが一杯のカクテルとなって現れます。

ジンの起源は17世紀、オランダが発祥の地。医師が薬酒として開発したのがはじまりです。ジュニパー・ベリー(杜松の実)をアルコール液に浸漬、蒸留し、解熱剤として薬局で販売されました。その後イギリスに伝わったジンは、現在の主流であるドライ(辛口)へと次第に変わっていきます。

もうひとつの主役、ヴェルモットはアロマタイズド・ワインというカテゴリーに属します。別名フレーバード・ワイン。白ワインをベースに、にがよもぎの他15~40種もの香草・薬草を配合し、さらにスピリッツを加えてつくります。

マティーニの前身は、1850年頃にヨーロッパで飲まれるようになったジン&イット(GIN & IT)といわれています。イットはItalianのIT。イタリアン・ヴェルモットを使った常温の甘いカクテルでした。マティーニはやがて辛口のフレンチ・ヴェルモットと出会い、ドライ化の一途をたどるのです。

後味にかすかなオレンジの香り

後味にかすかなオレンジの香り

時の堆積が作り上げた店内

時の堆積が作り上げた店内

今回は銀座5丁目の[クライスラー]、加賀谷治男氏にお願いしました。
「自分への一杯を楽しみに来られるお客様のための場を目指しています」
創業1960年。水の泡の様に生まれては消える銀座の店舗のなかで、常に変わらぬ空間を維持し続けています。

丁寧に氷の角を取り、フレンチ・ヴェルモット(ノイリー・プラット)10mlとオレンジ・ビターズを3ダッシュし、ステアしたのち中身を捨てます。リンスされ、香りが残されたミキシング・グラスにジン(タンカレー)を75ml入れ、優しくステアしてグラスに注ぎます。

「世界で最も愛されているマティーニは、ひとつとして同じ味はありません。諸先輩方のマティーニを勉強させて頂き、私の味が生まれました」と加賀谷氏。彼にしか出せない味を求めて、多くの常連客が訪れます。

私にとってはじめてのバーは、クライスラーでした。酒の飲み方や楽しみ方、しきたりや暗黙のルールなど、すべてをここで学びました。通いだした当初はすぐ足元が覚束なくなり、帰りの急な階段が危ぶまれたものです。素晴らしいバーは数あれど、私が最後に戻る場所はクライスラーのカウンターなのです。