酒と豊穣の神・バッカスに仕える巫女、HALがお届けするお酒にまつわる物語
 
 

私ははじめて、世界の優しい無関心に、心をひらいた。これほど世界を自分に近いものと感じ、自分の兄弟のように感じると、私は、自分が幸福だったし、今もなお幸福であることを悟った……。

アルベール・カミユ『異邦人』(窪田啓作訳)の一節です。主人公ムルソーの人生は、いつも彼自身のものではなく、彼がゼロと化し、彼の代用品が生きるに等しいものでした。「太陽のせい」で人を殺し、斬首刑の日が近づいたとき、ついにムルソーは幸福を手に入れるのです。

今月はフランスワイン「ムルソー」のご紹介です。

ムルソーのあるコート・ド・ボーヌ地区は、ブルゴーニュワイン取引の中心地であるボーヌ市を内包し、南北30kmの長さにおよびます。
毎年11月の第三日曜日、世界中からワイン商が集まり、ボーヌ市でワインのオークションがおこなわれます。この日はブルゴーニュ地方最大のワイン祭り「栄光の3日間」の中日に当たります。1日目は土曜の夜の「クロ・ド・ヴージョの晩餐会」。数あるワイン協会のなかでも権威のある「利き酒騎士団」の叙任式と晩餐会です。そして3日目は「ムルソー村での午餐会」で締めくくられます。

ムルソーはシャルドネの栽培に適し、極上の白ワインの産地として知られています。この村にはグラン・クリュ(特級畑)が存在しません。AOC制定時に、この村の生産者たちが税金の高さを理由にグラン・クリュを断ったからです。なんてもったいないことを! しかしながら常に高い評価を受け、特にプルミエ・クリュ(一級畑)は群を抜くと言われています。

自宅兼醸造所、 民宿でもある城

自宅兼醸造所、
民宿でもある城

コルクの長さは4.8cm

コルクの長さは4.8cm

今回は「ムルソー クロ・ド・ラ・ヴェル」を飲みました。エチケットに描かれた城は17世紀に建てられたもので、県の重要文化財に指定されています。現在の当主、ベルトラン・ダルヴィオ氏は9代目。単一畑で葡萄を栽培し、1ヘクタールあたりの収穫量をグラン・クリュ並みに抑え、ノンフィルター(無濾過)方式で自家詰めまでおこなう「お百姓元詰めワイン」です。ダルヴィオ家のムルソーは1998年に大統領晩餐会公式ワインに選ばれています。

飲みはじめは、昆布だしを凝縮したような強いうま味と香り。後から、木の実を食べたときの濃厚な味が追いかけてきます。時間が経過すると味そのものが次第に変化します。甘味を帯び、パッション・フルーツの華やかさが加わります。

蒸し暑い日の夕暮れ、まだ空は明るさを充分に残し、仕事から解放された人々で溢れる街。レストランの席に着いたら、一夜を完成させるべく、慎重に料理を選びましょう。ソムリエを含めた三者間協議の末、白ワインで合意に達し、うやうやしく示されるワインボトル。食器が触れ合う音、テーブル上の蝋燭の炎、趣向を凝らした料理。すべての客たちは即興劇の役を割り当てられ、それぞれがぬかりなく振る舞うのです。