酒と豊穣の神・バッカスに仕える巫女、HALがお届けするお酒にまつわる物語
 
 

その部屋にいると時間の経過が分からなくなってしまい、知らぬ間に年月が流れて、出て来た時は白髪の老人になりはせぬかと云うような、「悠久」に対する一種の怖れを抱いたことはないであろうか。……

谷崎潤一郎『陰影礼讃』の一節です。全てを剥き出すように照らす現代の室内照明に比べ、日本座敷の美は光と影の巧妙な使い分けにあります。墨絵の濃淡にも似た暗がりの中、ぼうと浮かぶ燈明の明滅。部屋に漂う陰影の魔法に言い知れぬ怖れを覚えるのです。

今月はカクテル「ゴールデン・ダイキリ」のご紹介です。

ダイキリはキューバの都市、サンチャゴ郊外にある鉱山の名前です。
過酷な炎天下で働くアメリカ人鉱山技師たちが、手に入れやすい材料(ラム、ライム、砂糖)で作ったといわれています。

ラムの原料はサトウキビです。搾り汁を煮詰め、砂糖の結晶を分離したのち、糖蜜を発酵、蒸留したものです。サトウキビは栽培に多くの労働力を必要としたため、大勢の人が奴隷としてアフリカから西インド諸島に船で連れて来られました。その船に糖蜜を積み、アメリカのニューイングランドで降ろし、蒸留所でラムを造ります。今度はそのラムを積み、ヨーロッパを経由してアフリカへ戻り、ラムを売った金で奴隷と交換していました。悪名高き三角貿易です。

現在ラムは産地や製法によってさまざまなタイプがあります。色で分類すればホワイト、ゴールド、ダークの三つ。風味を基準とすればライト、ミディアム、ヘビーに分けられます。

奥へといざなう扉

奥へといざなう扉

漂うライムの香り

漂うライムの香り

今回は福島県・郡山駅前の[THE BAR WATANABE]、渡邉秀行氏にお願いしました。アーケード街のビルの狭間にはめ込まれた、鉄格子の扉。その先へと伸びるトンネルの天井には、等間隔に点された幽かな灯り。歩を進めるに従い、二度と戻れない場所に迷い込んだような、頼りない心持ちになってきます。覚悟を決めて突き当たりの扉を開けると、木のカウンターが奥まで続き、仄暗い店内で金色のバー(手摺り)が沈んだ光を放ちます。

ダイキリのベースには普通、ホワイト・ラムを使用しますが、ゴールデン・ダイキリのレシピは、ゴールド・ラム(バカルディ)とフレッシュ・ライム。甘味はコアントローを使用し、パールオニオンで飾り、ライムピールで仕上げます。
日本の気候風土にはゴールド・ラムのほうが合う、と渡邉氏。スタンダード・カクテルは、日本でそれを飲む我々の口に合うとは限りません。海外の料理が日本でアレンジされていくように、渡邉氏はカクテルの本当の美味しさを引き出します。

「目に見えないものを見る目と、言葉にならない言葉を聞く耳を」持つプロの仕事は実に心地よく、杯を重ねるごとに深く静かに潜行していきます。夜も更け、店を出て、再びトンネルを通過する間に魔法は解け、そして表の雑踏に戻ったとき、現実との隔たりに戸惑い、思わず後ろを振り向いて奥の闇を見遣るのです。