酒と豊穣の神・バッカスに仕える巫女、HALがお届けするお酒にまつわる物語
 
 

 こうして神がみは、この世からすがたを消し、存在するものはひとつ残らずなくなって、やがて世界には音も響きも聞こえないときがやってくる。川の堤からは、主人の肉を喰らい裂こうとする老犬〈時〉が、遠く吼え声を発するばかりとなる。……

 ロード・ダンセイニ『ペガーナの神々』(荒俣 宏訳)の一節です。この創作神話はマアナ=ユウド=スウシャイを中心に展開します。世界はマアナが見ている夢に過ぎず、眠りから醒めた途端、この世から何もかもが消えて無くなり、猟犬〈時〉は神々を貪ろうと早くも身構えるのです。

今月はカクテル「サイドカー」のご紹介です。

サイドカーの由来は諸説ありますが、第一次世界大戦中に生まれたとされる説が強いようです。当時、乗り物としてのサイドカーは偵察・伝令用として戦地で多く用いられていました。なかでも興味深いエピソードは「サイドカーに乗ったドイツ軍の将校がフランスの民家に進入し、その家にあった酒で作った」というもの。何をしに将校は民家になど入ったのか? なぜ一般の住居にブランデーとキュラソーとレモンが揃っていたのか? 謎は深まります。

キュラソーとは、フルーツ系リキュールのひとつです。17世紀後半、南米ヴェネズエラ沖のオランダ領キュラソー島のオレンジ果皮を本国オランダに持ち帰り、アルコールに配合したのが始まりです。無色透明のホワイトと、琥珀色を帯びたオレンジの二つが代表的です。

プリザベーション・ホールのポスター

プリザベーション・ホールのポスター

黙っていても出てくる、私の定番

黙っていても出てくる、
私の定番

 今回は葛飾区・金町の[ショットバー・ジーノ]、坂本 純氏にお願いしました。

 金町駅前に店を構えて11年目。店内にはジャズが流れ、カウンターの端には季節ごとの花が常に飾られています。壁には、ニューオリンズの名門ジャズクラブ、プリザベーション・ホールのポスター。ニューオリンズを愛する坂本氏はしばしばこの地を訪れ、ある一軒のバーに足繁く通いました。その店主の名は〈Jino〉。今夜も「金町のジーノ」を慕って来る多くの常連客で店は溢れます。

 サイドカーのベースに使うブランデーはカミュV.S.O.P.。レモンを半分にし、皮の苦味が出ないよう絞り、コアントロー(ホワイト・キュラソー)で甘味を加えます。手早くシェイクし、よく冷えたカクテルグラスに注ぎます。ぶどうの香りとレモンの酸味、さらにその奥から、コアントローのオレンジが香り立ちます。

 少し急とも思える階段を昇り、扉を開けるといつもの見知った顔、顔。永年暮らしを共にした家族のように迎えられ、カウンターに座ると、とりとめのない話が始まります。「ココニ居テモイイデスカ」という無言の問い掛けを繰り返しながら、自分の居場所を探し求めた先に見つけた、たったひとつの席。その大切な場所ですら、時の流れに抗うことはできません。だから笑い、語り、グラスを飲み干しましょう。その短い瞬間にこそ、私達は存在するのです。