酒と豊穣の神・バッカスに仕える巫女、HALがお届けするお酒にまつわる物語
 
 

『クラムボンは死んでしまったよ………。』
『殺されたよ。』
『それならなぜ殺された。』兄さんの蟹は、その右側の四本の脚の中の二本を、弟の平べったい頭にのせながら云いました。……

 宮沢賢治『やまなし』の一節です。小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈。ささやかで美しい蟹の親子の日常にも、ぼんやりとした、しかし確実に禍々しいものが含まれているのです。

 今月は、失われたバーのことを書きたいと思います。
 バッカス・レポートVol.8で紹介した銀座のクライスラーが、3月31日をもって閉店しました。事前にそのことを知らされた客たちは一様に動揺し、言葉を失い、やりどころのない気持ちを自分にぶつけていました。閉店の理由は非常に複合的なもので、それがますます我々を打ちのめしました。健康だった人がある日突然不治の病を宣告されたように、店はすでに取り返しがつかない状態になっていました。

 クライスラー最後の一週間、店内は客でごった返し、座れない人々が入口でじっと空席を待っていました。都内で地震があると、真っ先に心配した、あまたの酒瓶。使い込まれたカウンター、バースツール、ジュークボックス。遠い声、かつて流れた音楽、今はもう来なくなった常連の、背中を丸めて煙草を吸う姿を幻視し、そこかしこにうずくまる、死期を悟った記憶たちの埃を丁寧に払ってやりながら、短い告別式を終えました。

 客はみな粛々と酒を飲み干し、次の人のために早々に立ち去っていきます。こうして諦めにも似た溜息とともに、銀座に47年間屹立したクライスラーは、無くなりました。

 私はこの店の、距離感がとても好きでした。内と外の線を明確に引き、付かず離れず、過不足のない、まさに洗練された接客でした。それは経験やテクニックとは明らかに異なる、誠実さに立脚したものでした。おのずと客層も揃い、穏やかで、均衡が保たれたコミューンを形成していました。

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  もし店がそのまま残り、経営者のみが変わったとしたら、どうなるのでしょうか。よくあるケースでは、店主が引退し、そこに通う常連が後を継いで店を守る、という場合。常連たちは居場所が失われなかったことを喜び、足を運びますが、時が経つに連れて何かが違うことに気づきます。その店を店たらしめていた、決定的な何か。

 バーの成分は、立地、店の佇まい、内装、酒の種類、音楽、客層、そしてバーテンダーで構成されています。これらすべてがモビールのように危ういバランスを取っており、どれが欠けても、別なものに変化していきます。

 時間の矢は常に一方向に進み、街並みは変わり、我々も歳を取ります。雨後の筍のように新しい店が次々とでき、新しいものを提示し続けます。一方で古いものが重きを置かれ、老舗という言葉に弱い我々は、現在を見ていないことがあります。しかし、何がいいとか悪いとかはこの際どうでもいいのです。銀座のクライスラーは、無くなっては困る店だったのです。