酒と豊穣の神・バッカスに仕える巫女、HALがお届けするお酒にまつわる物語
 
 

 主の栄光のために呻き、苦しみ、死んだ今日も、海が暗く、単調な音をたてて浜辺を噛 んでいることが耐えられぬのです。この海の不気味な静かさのうしろに私は神の沈黙を ──神が人々の歎きの声に腕をこまぬいたまま、黙っていられるような気がして……。

遠藤周作『沈黙』の一節です。切支丹禁制下の日本に、布教のため密航してきた若き ポルトガル人宣教師。しかし、執拗な迫害、苛酷な拷問、そして多くの殉教者を目の当 たりにして、神の存在という最も怖ろしい疑問が沸きあがるのを、彼はもはや抑えるこ とができないのです。
 今月は、ケンタッキー・ストレートバーボン「エライジャ・クレイグ」のご紹介です。

アメリカ先住民族チェロキー族の言葉で「暗く血まみれの大地」という名に因む、ケ ンタッキー州。風に吹くたびに一面のブルーグラスが海の水面のように輝き、その中を 逞しい馬たちが駆け抜け、草を食む。この土地に18世紀後半、ひとりの聖職者が現れま した。

名前はイライジャ・クレイグ。パブティスト派の牧師です。身長が7フィート(約 213cm)近くあったというこの牧師、ちょっとした危険人物で知られており、法に反抗 するような説教をたびたび行い投獄されたこともありました。また、許可もなくウイス キーを造り逮捕、罰金まで払わされた記録が残っています。

なぜか大判焼きを連想してしまう

なぜか大判焼きを連想してしまう

アメリカン・ルビーの名にふさわしい

アメリカン・ルビー
の名にふさわしい

1789年、クレイグ牧師は本業そっちのけで、現在のバーボンの基礎となる酒を生み出し ていました。コーンとライ麦と大麦を使うという、バーボンの原料基準を作り、樽の内 側を焦がすことも彼が考案したと言われています。しかし近年、文献的な証拠がないと の理由から「バーボンの始祖」としての地位が揺らいでいます。それでも、クレイグ牧 師がバーボン草創期の立役者だったことは、疑う余地がありません。
ヘブン・ヒル蒸留所がこの牧師の名を冠したウイスキーが、エライジャ・クレイグです 。

まずは12年から見てみましょう。やや平べったい独特の形状をしたボトルの中に、濃い メープルシロップ色をした液体が満ちています。度数は47度。原料の混合率はコーン78 %、ライ麦10%、大麦12%。口に含むと、ドン、と胃に落ちてきます。樽の香ばしさが 喉から舌の奥から拡がってきて、苦みとも甘みともつかない味わいを残していきます。
自己主張が強く、少しくせのある女性を思わせます。美しいボトルの18年は、年月に磨 かれて洗練された味ですが、決してバーボンらしさを失うことなく、更なる高みへと飲む者を連れていきます。

クレイグ牧師はその後、紡績工場や製紙工場、製粉工場、そしてウイスキーの蒸留所を 設立し、地元の名士として名を馳せます。
信仰に燃えた牧師がなぜ、ここまでの偉業を成し遂げたのでしょうか。彼はきっと、祈 りだけでは人々を救うことができないと感じたのかも知れません。町を興して現実的な 幸福を創造し、酒を造ることで即物的な慰めを与える。それは教会という枠を飛び出し 、人々の真の求めに対する、彼なりの答えだったのだと思うのです。